2024/0526 荒れた場はさらに荒れる
いつものコースにあるパチンコ屋さん。
お店が出したものかは分からないけれど、最近その前にごみが放置されていて、何日か経ちました。ぼくが拾うことは簡単だけど、たびたび大物が落ちてるところで、放置されたままのことも多いので、今回はぐっとこらえて観察。
プラスチックの大きな容器にアクリルの看板。横にカラス除けのネットも丸めてあって、見た目にも綺麗とは言えない。何の汚れかわからないけど、そのあたりの歩道はベタベタ黒くなっている。
そのせいか、街行く人がさらにごみを置いていく。たばこの箱、ドリンクの容器。パチンコ屋さんに目をやると、店頭で映像を流すディスプレイにヒビが入ってる。どうも殴られた感じ。
飲み屋街でもあって、荒れやすい場所ではあるものの、それを放置しておくとどんどん荒れるのだなぁと思う。荒れてるから荒らしやすいというのもあって、みんなの扱いも悪くなってるのかも知れない。
どうせ自分なんて…って言ってると、馬鹿にされやすいのと似てる。
やっぱり掃除は大事だなと思う。場を調えておくと、問題は起こりにくい。だから夢拾いを続けているのでしょう。
とりあえず、しばらく観察してみる。ぼくにとっては拾うのを我慢してる感じだから、しんどい選択。拾う方が楽。
「分かりやすさの弊害」
分かりやすく書く、伝えるということを大事にしてきた。
とくにコロナ禍の3年は、ワクチンのことマスクのことを多くの人へ発信するために、とても意識していました。そのおかげか、これまで知り合うことのなかった人たちにまでリーチできたし、一定の効果は感じているのだけど、ここ最近その弊害を感じはじめてもいる。
より分かりやすく、読みやすくの弊害。
普段長文を読まない人のために、短く端的に書くことで、寄り道のないつまらない文章になってる。書いてる本人が一番退屈してる。
誤解を招かない表現、分かりやすい単語を選んでいくことで、自分のフィーリングからは離れていく。教科書のような、温度のない文章になってる。
そう感じはじめてから、自分の中に浮かんだ言葉をそのまま表現するように変えた。習慣はなかなか変わらないから、そのまま表現するよう努めているところ。
分かりにくいかもしれない、そう思いつつもあえてそのまま書く。そうすることで自分らしさが戻ってきてる気もするし、書くことが楽しくなってきてる。
本を書きたいとはずっと思っている。