4月からはじめた和太鼓。昨日も練習があって、主に大太鼓を叩いてるおかげで肩が筋肉痛です。
肩より上に腕を上げることがほとんどない生活にも関わらず、演奏中はほとんど肩より上に腕が上がってるわけで、そりゃ慣れないから痛みますわな。使ってない部分が使われてる実感ありあり。
簡単そうに見えるけど、やってみるとうまくできない典型的なパターン。自転車のペダルを足で漕いでるかのような、滑らかな動きで大太鼓を右左と打つ。力を使わずに、上げた腕の重みを使って振り下ろす。下への力を横に打つ力へ変換する。金づちみたいに要所だけバチを握って、あとはゆるゆる。
基本脱力で、要所だけ力を入れる。それも必要最低限の力。ギターのピッキングでもそうだし、包丁もそんな感じ。テニスもそんな感じだったなと、いま思えば。
ほとんどすべてに当てはまる気がする脱力の大切さだけども、最初から要所なんて分かるわけもなく、ガチガチに力が入る。出来るひとにアドバイスを求めて、言われたように見せてもらったように、力を抜いてみるも全然ちがう。必要なところまでゆるゆるになる。
楽を求めてショートカットしようとしても、たいていはうまくいかない。センスがあればできるのかも知れないけど、それはなにか一つ深く極めたひとだからなのか。
とりあえず力んだ状態で、数をこなすしかないのかなと思ってる。大太鼓ならたくさん打つしかない。もちろん先人の姿や言葉は参考にしつつ、自分なりにそれを取り入れてはいくものの、あとはやるしかない。
考えるのとやるのはちがうし、そのズレを調整していく。考える→やるの繰り返しで「調整される」という言い方が正しいかも。握るという力を入れる動きは意識しやすいけども、放すという力を抜く動きはなかなか意識できない。
ギターの話で申し訳ないけども、弦を押さえるほうが楽で、押さえた指を離しながらピッキングする方が難しい。離す動きって普段あまりしないわけで。ピアノも鍵盤を押すことで音が出る。
弦から指を離そうとすると、離れ過ぎてしまって、弦から指が遠くなる。そうすると速弾きは難しくなる。押さえてた指の力を抜くだけ。とはいえ、抜くのを意識すると変な力が入る。の繰り返し。
ちょっと話が逸れましたが、離す、放す、力を抜くというのはとても難しいなと思う。力を入れて握る。握る握る。そうやって力を込めていって、疲れたところでいい塩梅に力が抜ける。数をこなして、力が抜ける。抜くは抜ける体感があってこそ。
偉そうなこと書いてるけど、いまのところは全然できてない。大太鼓。少し進んでるギターを参考にしつつ、フォームを気にしながら、数をこなす。とにかく打つべし。
よく言われてる「執着を手放す」も、相当難しいのではないか。ぼくは不可能だと思ってる。執着してるものをさらに握る、執着を強めた先に、うんざりしてやめる。自然と離れる、方が早い気がする。
手放すという言葉を使ってる時点で、力が入りすぎてる。めちゃ握ってるわけだから、もう諦めて、握りつぶす勢いでいかがでしょう。言われて執着を手放せるのなら、そもそも悩んでなかろうに。笑
あ!トングを握ってごみを拾う。力を抜いて袋の中で放す。なんと、夢拾いは脱力の練習にもなってたのか。数もこなせるし。