最近よく話していること。文章ではなかなか難しそうなのですが、ちょっと書いてみます。何部かに分かれるかも知れないし、書き切れずに途中で断念するやも知れません。いま考えていること。その膨大な広がりをスケッチするような、描くことでまた一歩と近づいていって、その都度、詳細を描き込むような、たぶんそんな感じになりそうです。小説家や画家なんかは、いつもこういうことしてるんでしょうね。すごい職業だなと思う。
さて、何を話しているかと言えば「源から離れていってる」ということ。これについて書こうとすると縛りになりそうなので、うっすらと頭の隅に置いておく。
ギターの話で恐縮ですが、エレキギターのあの歪んだ音というのは、アンプに繋ぐことで出ておりまして。きっと「マーシャル」なんてのを、一度は耳にしたことがあるはず。それです。笑
アコースティックギターと違って、エレキギターはアンプが無いと音が鳴りません(小さい生音は鳴ってる)。アンプに繋いで音を増幅して、それを飽和させることで歪むような仕組み。ロックな音と言えばこの歪みなわけで、自分にとって心地よい歪みを日々探しておるわけです。僕も含め、ギタリストはたぶんみんな。その中でマーシャルというメーカーのアンプが人気があって、名機と呼ばれるものがいくつもあります。
あのギタリストが使ってたマーシャルアンプ(以下マーシャル)を使って、あの名曲のあの音を再現する。そうやって自分好みの音へ近づいていくのですね。男のロマン。余談になりますが、ぼくはB'zばっかり聴いてたので、やっぱり松本さんの音が好き。そこからのマイケルシェンカーとゲイリームーア、レイヴォーンみたいな。
で、有名ギタリストが使ってるマーシャルなんてのは馬鹿デカイので、せいぜいスタジオで使うくらい。家ではそれを小さくしたものを使っておりまして。とはいえ、それでも音は結構デカイ。歪ませるにはある程度の音量が必要になるので、マンションなんかだと、そもそも歪ませることすら難しいわけです。
そこでできたのがモデリングアンプなるもので、実機の音を再現したものをヘッドホンで聴ける機械(マルチエフェクター)なのです。調整のつまみもちゃんとありますし、最近のものはほんと良い音がします。ようやく本題に近づいてきたぞ。がんばれ。
先のマーシャルの音を耳のプロが聴いて、それを忠実に再現する。つまみの目盛りやアンプの音を拾うマイクの位置によって変わる感じ。そのほか、ありとあらゆる膨大なパラメータを盛り込んで作ってあるのがモデリングアンプで、そのおかげでまるで実機を触っているかのように操作できるのですね。ありがたや。
ここがポイントで、あくまで「まるで実機を触っているかのような」であって、実機ではない。当たり前のことなんだけど、使っているうちに実機のような気がしてくる。マーシャルのようでマーシャルでない。
本物に限りなく近いとは言われてるものの、それが分かるのは作った人だったり、実機を使ったことのある人たちだけ。実機のマーシャルはデカイし重いしで、まぁとにかく不便なわけで、使ってる人は限られたごく一部の人だけ。となると、これから先さらに減っていくだろうから、本物を知る人も減っていく。
次の次の世代まで来たら、モデリングアンプしか残ってなくて「これがマーシャルの音らしいよ」「へー、そうなんだ」ってなっててもおかしくはない。実機がなくなって、知る人がいなくなったら、確認しようがない。
便利だから再現したものを使いがちだし、ぼくもバリバリ使ってるけど、そうなるとその再現元、源を忘れてしまう。知らないものに敬意もクソもないので、悪気はなくともかならず軽視するようになっていく。
重くてデカイマーシャルがあって、それを持って移動するのが大変だからとモデリングして、みんなが便利に使えるようになった。便利になっていくとき、その変遷に触れた人たちにありがたみはあっても、その便利なものを生まれたときから使っていたら、前の不便さを知らないからありがたみがないというか、ただ「そういうものです」って使うだけ。
昔のものを大切にしろ、みたいな老害的なことが言いたいわけじゃなくて、源から離れていくことは意識したいなと。いま使ってる便利な「それ」はマーシャルのようでマーシャルでないってこと。源があって、それを再現するために努力した人がいるということは忘れないようにしたい。かならず忘れていってしまうことだから。
麻婆豆腐の素だって、麻婆豆腐を料理として日本に広めた陳建民がいて、その味をブラッシュアップしてきた数多の料理人がいて、それを再現するメーカーがあって、はじめて手軽に家で食べられる。
もしその素しか知らなかったら、それがなくなったらもう麻婆豆腐は作れないけど、源を辿れば作り方は見えてくる。豆板醤だったり花山椒だったり。そういう意味でも、源を知っておくというのは大事かなと思うわけです。素と源でややこしいけども。笑
すべてにおいて根源があったこと。先人がやってきたおかげでいまがあること。その具体的なもの、一つ一つは忘れてしまっても、すべてに源があったことは意識しておきたい。そうすれば、傲慢にならず謙虚でいられるのかなと思っている。
自分だけで生んだものは何もなし。だけど、その自分がいなかったらこの世界もなし。偉くもなければ、ダメなやつでもない。ただそうである。
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写真はうちのマーシャル。小さいながらも真空管アンプなのだ。