最近は風景に溶け込むような夢拾いを目指しておりまして、目立たずサラッと、通ったあとが綺麗になってる、そんな風のようでありたいなと。
そんなことを考えながら、さっきも拾ってきたのだけど、自然の一部、自然体という言葉が浮かんできました。
自然体という言葉がある時点で、ひとがいかに不自然に生きているかを感じますが、それはさておき。
風景に溶け込む=自然体でいること、なのかも知れません。ごみを拾うのは、自分にとってそれが自然なことだから。そっちの方が自然体なんだなと思う。
そういえば拾いはじめた9年前、ごみを拾うことに抵抗がありました。見られることに。街を歩いていて、ごみを拾うためにかがむことで、風景から浮いてしまう。
それが嫌だったのだけど、続けるうちに抵抗感は薄れていって、今ではほとんどありません。見られることに慣れたのと、拾うという行為が当たり前になったからでしょうか。板に付いた、といいますか。
ごみを拾っているのが自然体となった今、すでに風景の一部になれているのかも知れません。
「すごく自然で、街に溶け込んでいて素敵だなと思いました」
先日声をかけてくださった母子にも、SNSでそうコメントいただいたばかりでした。ありがたいお言葉です。