夢拾い日記

夢拾いしながら感じたこと、思いついたことを綴っています。

2024/0701  バス停でおじいさんが倒れた話

今朝のことですが、投稿では長くなりそうだったのでこちらに書きます。

 

いつものコースも中盤、スーパーの前にあるバス停で60代後半くらいのおじいさんが、ちょうど目の前で倒れました。遠目に見てたら、突然フラッときてそのまま歩道で頭を打ちまして、隣にいたサラリーマン(40代くらい)が介抱しておりました。

 

ちょうどそこに通りがかったわけですが、先ほどのサラリーマンが119番に電話してくれてたので、ぼくはおじいさんの手を取りつつ、後頭部を支えながら待つことに。呼吸はある。「だいじょうぶですか?」電話しながらサラリーマンが声をかけると、おじいさんの目が開いた。朦朧とした感じだけど、意識はあるようで「会社に行かないと…」そう言って起きあがろうとする。

 

「まだ無理やて」「今救急車来るから」「ぼくも会社行かないかんから。ここでじっとしててな」そう言い残して、サラリーマンはバスに乗って行きました。なのでとりあえず、ぼくはおじいさんに付き添って救急車を待つことに。

 

なんとか立ち上がったおじいさんは再度「会社に行かないと…」と、もうバスに乗ろうとする。肩を貸すものの、歩ける感じではなく。「ひとまずそこに座りましょう」ぼくがそう言ってスーパーの壁を指差すも、そこまでも移動は難しい。すると、そこにスーパーの従業員さんが来てくれて、持ってきた車椅子にようやく腰掛けられたおじいさん。

 

「あとはだいじょうぶですよ」スーパーの方がそう言ってくれたので、お任せして夢拾い再開。ちょっと進んだところで、様子が気になって後ろを振り返るとなんと!さっきまで倒れてたおじいさんがバスに乗る姿が。結局バスに乗って会社に行ったのでしょう。

 

その後、遠目に見守ってたら、従業員さんも車椅子とともにスーパーへと戻っているようでした。その少しあと、そこにすれ違うようにサイレンを鳴らした救急車がやってきました。その時には、ぼくは現場からずいぶんと離れていたのだけど「救急車を呼んだ方、どちらにいらっしゃいますか?」の声がうっすらと聞こえる。

 

その後どうなったのかは分からないけど、赤いライトが点滅してたのは見えたから、救急車はしばらくそこにいたらしい。おそらくスーパーの方から説明を聞いたのち、戻っていったのだろうと想像する。

 

だれが悪いとか、どうすればよかったとか、なにか言いたいわけでもなくて、それぞれにベストを尽くしたのがチグハグになったかなぁと。おじいさんを無理に救急車に乗せるわけにも行かんしね。

 

話で聞くような「みんな見てるだけでだれも助けない」のではなく、周りの人は精一杯やったし、おじいさんも自分の意思で会社に行けたし。救急隊の方が徒労に終わって、申し訳ない気はするけど、今回は仕方なかったように思う。

 

ひとつ言えるのは、こんなことになっても会社に行こうとする、行かなきゃ行けない感じがすごいなと。倒れたおじいさんも、介抱したサラリーマンも。自分が会社に行ってない身で言うのもなんだけど、今日くらい休んでも、ちょっとくらい遅れてもいいのでは?と思ってしまう。でも自分が会社勤めをしてた頃を思い返すと、仕事を休む、もしくは遅れるのはダメだと思ってたから、無理して行く気も分からないでもない。

 

会社だって理由を説明すれば、休んだり遅れたりすることは当然了承してくれると思うけど、言いにくい空気はあったし、いちいち説明するのもめんどくさいわけで。だから無理して会社に行く、みたいな。

 

おじいさんが無事であることを祈りつつ、世の中の余裕の無さを感じつつ。社会のどこにも余裕が無くなってきて、システムエラーが増えてきてる印象。

 

そのずいぶん後、後ろからやってきた自転車に乗った会社員。ぼくの目線の先で、急に自転車を降りて、なにやら点検してる。再度乗るも、タイヤが空回りしてるらしい。一度は降りて自転車を押して歩いてたけど、途中で勢いをつけて再再度乗ってみてた。でも結果変わらず。

 

時計を気にしながら小さくなった背中で、自転車を押して歩いて行きました。その姿がまるで、歯車の狂いはじめた社会のように見えた。

 

写真は付近のバス停。