グループ展があったり、和太鼓の演奏があったり、慣れないお店に立ってたりと、自分としては忙しく過ごしてた先週。身体的というよりは、精神的に疲れてる感じ。自由にやってる風でいて、それなりに責任感はあったりするので、それで疲れちゃうのかも知れないですね。
やることの多い少ないというよりは「何かをやる」ということ自体が、頭に引っかかるというか、それを優先するようになるから、かも知れません。大事な何か。今やってるこれよりも、大事な何か。その準備や練習が気になって、他のことがおろそかになる。手につかない。
たとえば、待ち合わせが午後3時だとすると、それまではゆっくり好きなように過ごせばいいはずなのだけど、待ち合わせの時間が気になって、なんか好きなように過ごせない。何かあったらイヤだし、早めに出るとか。その日は待ち合わせを優先に生きるわけで、気もそぞろ。結局、それが終わるまでは精神的に束縛されてる感じになる。
予定の質にもよるし相手にもよるのだけど、遅れてもいい予定変更してもいいよと言ってくれるような相手なら、そこまで疲れないし、気楽に待ち合わせもできる。時間通りじゃなきゃ、という相手とは長くは続かないから、そもそも今周りにはいない。いなくなった。
こんななので、なにか予定を立てる、たとえばイベントを企画するなんてことにはごく慎重だし、そもそも極力予定を立てないようにしてるのだけど、大勢の人が関わってくるとそうもいかないので、その場合は厳選して予定を立てる。
自分が企画して集客してとなると、責任が大きすぎてすぐにフリーズするので、最近はやってません。やらないようにしてる。企画してくれる方がいて、それを受けての補佐くらいがちょうど良い。集客も自分のためだと上手くできないのだけど、だれかのためなら少しはマシにできる。
こういう自分の性質を知るほどに落胆してたのだけど、最近はその取り扱いがわかってきて、他人に迷惑をかけることが減ってきたおかげで、こんな自分がそこまでイヤじゃない。なんなら、長所として活かせるところまできてるかも知れない。
自分をダメだと思うとき、たいていはその取り扱いを間違っているだけで、そのダメな部分(ダメだと思う部分)をよく見て、ダメにならないような状況を用意してあげればいいのだと思う。ぼくの場合だと極力予定は立てない、みたいなこと。
それで上手くいくのかって自分でも半信半疑で、そんなんでやってけないよって思ったけど、とりあえず今生きてる。笑
予定が立てられないから、ほとんどイベントなんてできないけど、和太鼓なんて無責任に参加するだけだし、うちのお店でのグループ展でも責任の範囲は最小限にしてもらってる。そうやって気楽な状況をつくると、あら不思議、責任を果たすようになるのですね。この天邪鬼は。
ダメになるパターンを観察して、そうじゃない状況をつくる。それだけで自分が活きてくる。そんな感じです。ダメにならないようにがんばるよりも、ダメになる前提でそのシチュエーションを避ける。そこをがんばる。
写真は、新たに織りはじめたキリム(45×45くらい)自分勝手にできるから続いてる。笑