二日空くと筆が重くなる日記。笑
続けるのって大事やなと思いつつ、続けてると書くこと自体よりも、その内容を考える余裕が出てくるように思う。書くことを習慣にできれば、書くことが自分の中であたりまえになって、労力としてはゼロに近づいていく感覚。その上でなにを書くか、さらにはどう書くかを積み上げていける。
なんとか書くことを習慣にしたい自分と、休みたい自分。そのせめぎ合い。それ自体を書くことで習慣化する作戦。笑
書く量が多すぎる(自分にとっては)のか、書く内容を取り繕ってるからなのか。はたまたそれ以外の理由か。どこが引っかかってるのかを観ていくのも、結構楽しい作業。読んでもらうのを意識すると色々考えてしまうから、という線は濃厚かなと。上手く書かなきゃ、って。
今はそれは置いておいて、とにかく書く。そういう段階ですねきっと。このアプローチを続ける限りは、自然と上手くなるはずだろうし。分かっちゃいるけど続かない(スーダラ節風に)笑
◎言う割に大して鬱陶しくない
鬱陶しいって漢字で書くと、うっとうしさがより伝わりますね。良い漢字。
先日運転中に鬱陶しい場面に遭遇しまして。飲み屋街にある信号の無い横断歩道。夕方だったのですが、早くから出来上がってる酔っ払いと客引きが結構な数おりました。横断歩道を渡ってるので一時停止。次から次へと渡ってくる。ようやく行けると思ったら、客引きがダラダラと横断歩道を右左。
やっと横断歩道を越えたところで、思わず「あー!鬱陶しいな!」と車の中で叫んだのです。ですが、その感じが前とは違う。以前は本当に鬱陶しくて、叫んでそれでスッキリする、みたいなところがあったけど、今回はそもそもそんなに鬱陶しいのか?って考えてしまった。
そしたら大して鬱陶しくない。でも前はそう叫んでたから、まだそうしてるだけ。クセというか、からだに残ってる反射みたいなものだった。それに気づいたら、もうこの場面は鬱陶しく無いんだなって、(良い意味の)虚無みたいなものがありました。無いのがあるって面白いけど。
この場面は卒業、次のステージへ!みたいな。笑
◎手書き風、心がこもってる風
街を歩いてると手書き風のフォントが増えた。看板でもメニュー表でも、広告でも。微妙に上手じゃない筆文字、ペン字みたいなのを使って、親しみやすさやおしゃれさを表現したいのかなとは思うのだけど、いかんせん「手書き風」なだけで、フォントなのが丸わかり。それでも目新しいうちは良かったものの、今では街に溢れてる。埋もれていく。そうなると、手書き風のメリットはあまり無いように思う。
手書きだから心がこもってるのが伝わるのであって、手書き風は心がこもってる風なだけ。こっちも伝わってる風で。笑
どこもかしこも同じテクニックを使いすぎて、消費者の反応がなくなってる気がする。
どうしてこんな話をしてるかといえば、じつは電車の中吊り広告やSNSの広告を見るのが趣味なのです。中でもフォントとキャッチコピーが大好物。今のトレンドがわかるし、心理テクニックみたいなのを想像するのが楽しい。
◎ネガティブ通常運転
書いてていつも感じるのは「ネガティブを少し面白く表現したい」というのが自分の根底にあるらしい。だからネガティブが好きだし、ほかの人よりもその取り扱いは上手な気がする。ほら、ネガティブでもこんな楽しく生きれますよーって。もうこれはポジティブか。笑
ぼくにとってネガティブに考えるのは通常運転で、それを表現できれば自分らしさという点でポジティブになるのかもしれない。外から見れば。
隠せば光でさえも闇となり、晒せば闇も光と変わる。
そんなのが降りてきた。笑
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写真は、製作中の45×45cmのキリム。
土台が完成。続けてるからか、これも大変だとは感じないですね。