今日は拾ってるときに色々と浮かんできたので、それぞれ掘り下げてみます。自分のためにも。
◎とっとと嫌われて自由になる
SNSでつぶやいたのは「さっさと嫌われる」だったのだけど、微妙にニュアンスが違いますね。とっとと、さっさと。前者の方が投げやり感がある?のかな。とっとと嫌われろ、みたいな。笑
「もうしんどいのだけど、上(上司)には言えない」みたいな話を聞いて思ったこと。会社や組織ではよくあることだし、自分も多分に経験があるけど、上司に嫌われなくて失望されたくなくて、自分の言いたいことが言えない。良い顔してるから断らないから、どんどん仕事がやってきてキャパオーバーになる。そうやって心身を病んだことがある。
良い顔をしてるから(その面しか見せてないから)好かれてるわけで、早めに嫌われそうな部分、嫌な顔を見せていったら、嫌われて自由になるかなと。実際に嫌われるかは分からないけど。案外気に入られたりするのかも知れない。
とっとと嫌な面、言ったら嫌われる(と思ってる)ことを言って、先に自由になろうということ。それで好かれるか、やっぱり嫌われるかは相手が決めること。それで合わなければ次に行けばいい。展開が早くなる。
◎変われ、変わるな。満足するな、満足しろ。その狭間に求めてるものがありそう
変われ、成長しろ。そうずっと言われてたらしんどい。変わるな、ありのままでいい。そう言われるとホッとする反面、なんだかもの足りない。
満足するな、上を目指せ。これもずっと言われたら病むわな。満足しろ、足るを知れ。たしかにそうなんだけど、なんか不完全燃焼感。
偉人が残した名言でも、SNS上のポエムでもなんでも、言い切られるとその反対側が見えてきて、それだけじゃダメなんだよな、ってなる。がんばれって言われるとしんどい時もあるし、がんばるなって言われても無理したいときがある、みたいな。
言葉にするとどうしても、どちらかの極に偏ってしまうのだけど、生というのはもっと曖昧なものというか、そんな簡単に割り切れない。なにを言ったところで、結局はケースバイケースという話になる。がんばらない方がいいこともあるし、がんばった方がいい場面もある。自分の納得という点でも。
がんばるが振り子の頂点で、がんばらないが反対側の頂点、最高到達点とするなら、言葉にするとそこで止まっているようなイメージ。だから振り子としては死んでいる。言葉にした時点で生きてはいない。
生きているというのは振れている、揺れているわけだから、その途中に求めているものがあるのかなと。がんばるとがんばらない、あるとない。その間を常に揺れ動くものが生。
浮かんできたのはそういうイメージ。だからといって、言葉にするのは意味がないと言いたいわけじゃなくて「今どっちの言葉が響くかで、自分の状態がわかる」という点ではとても有効だと思う。がんばれと言われて嬉しいのか、がんばるなと言われてホッとするのか。
ただその答えは今の自分のものであって、いつまでもそれにこだわるな、ということ。だからたとえ同じ人であっても、それぞれの段階で言うことは違ってくるのが普通だと思うし、矛盾してるのが生だとも思う。
もっと怒れ(もっと自分の感情を表現しろ)と思うし、そんなに怒るな(怒ってもいいけど言い方を考えろ)とも思う。
ただ生きろ、ただ生きるな。
◎荒れてるごみのおかげで、こっちのごみが綺麗
今朝の夢拾いで、収集にと出されたごみをカラスが啄んでる場面に遭遇しまして、それはそれは派手に散らかっておりました。すき家の前辺り。
で、うちの前のごみ集積所(ごみステーション)を見てみたら綺麗だった。出し方の問題うんぬんはあるかも知れないけど、その荒れてるごみにカラスたちが殺到して、こっちのごみが無傷で済んでる、みたいなこともあるんじゃないかと。
荒れてるおかげで、ほかが荒れずに済む。そう思ったら、また変なことが浮かんだ。わざと荒らしてもいい場所を作って、そこを荒らしてもらう。で、荒れた「そこ」はみんなで協力して掃除する。
吸いがらとか見ててもそうだけど、あらかじめ集まってるところにポイ捨ては増えていく。だからあえて集めておくことで被害は小さくなるのでは、とよく思ってる。ごみ箱のように分かりやすいものではなく、うっすらポイ捨てポイントへと誘導する。汚いところをわざと作っておいて、そこへおびき寄せる。笑
真面目な人はごみ箱へ、不真面目な人もうっすらポイ捨てポイントへ。みたいな。上手く説明できてないような気もするけど、とりあえず今日浮かんだまま。
ごみ集積所っていまいちピンとこない響き。ごみステーションは「ごみ捨て」とかかってるから響きは良いのだけど、ステーションと呼ぶにはいささか寂れてる気がする。なにか良い名前はないだろうか。どうでもいいけど。笑
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写真は、今朝の散らかったごみ。