今朝はとある投稿を読んで思うところがあったので、それについて。
その投稿というのは、コロナワクチンに関する夫婦の考え方の相違。その害を知っていながら止めなかった旦那を責める奥様のツイート。あえてまだツイートと書く。笑
以下コピペです↓
ワクチン被害者の数を見て
「うわぁ〜。誰が責任とんねん」と呑気に言う旦那に
「止めれる立場にありながら、
(会社で)ワクチン接種をすすめる義兄夫婦を止める事をしなかった貴方は加害者やねんで」
と言ってやった。
加害者だと言った事が気に入らない様で少し言い合いになったけど。
私は本気でそう思ってる。
「人それぞれいろんな考え方がある」
「自分は打たない、家族にも打たせない、それでええやん。」
当時、さも常識人の様に上から
私を宗教だと馬鹿にしたけど。
そういう人の事を私は加害者だと思ってる。
黙って見過ごし、止めなかった人達は
ワクチン接種事業に関わった人達と同じ加害者です。
(引用終わり)
………
これを読んで、昔の自分みたいやなぁと思った。声を上げなかった人を責めてたから。だけどそれじゃ、どんどん人が離れていくだけだった。だからぼくはワクチンに関する発信をやめた。
この話は命に関わることで善悪がより強調されがちなので、少しライトなごみ拾いを例に考えてみます。その方が見えてくることがあると思うので。
以下は、先のツイートに対するぼくのコメントをまとめたもの↓
2〜3年前、ムキになってごみを拾ってたとき。
ごみを捨てる人はもちろん、拾わない人に対しても文句を言ってた。
ひどくなると「拾ってるけど、その量が自分より少ない人」にまで噛み付く始末で。
拾わないけどポイ捨てしない人のどこが悪いのか?分からなくなって、ムキになってやるのをやめた。
自分が正しいと思いすぎてると、自分とおなじくらい「それ」をやってない人はみんなダメ、ということになってしまう。
それで物言いが強くなって、言葉に棘が出てきて、喧嘩になる。しだいに人は離れていく。
「それ」を想う気持ちはおなじだったのにもったいないなと思う。
ごみを拾ってるのは、綺麗にしたいから。
ごみを拾ってなくても捨ててない人は、それだけで綺麗にしてくれてるのとおなじ。
そして、ポイ捨てを減らすには「捨てる人」と話しをしなきゃ意味がないってことで、
そのとき自分の正しさは邪魔になる。だから、なんとなく適当にやるようになった。
正しさを握ってる以上、どれだけ隠したところで、ある種の軽蔑が滲み出てる。
だから相手には伝わらない。
(ここまで)
………
最後のフレーズに言いたいことは凝縮されていますが、正しさは結局のところ、障害にしかならないなと。
正しい(と感じてる)ことを本当にみんなに伝えるつもりなら、自分だけが正しいという気持ちは次第に弱まるはずで。
ほかの人の「正しい」を聞いて、そういう考えもあるのかと緩んでいくというか。正しさの器量が大きくなるというか。
いつまでも尖った正しさを握りしめてるというのは、それを使ってだれかを攻撃したいだけなのかなと。伝える気があるのなら、その先端は丸くなるはず。
この投稿の主を否定したいわけじゃなくて、近い考えの人同士で傷つけあってることって多々あるよなぁと思っただけ。それはもったいないと思うから、なんとかならないかなぁと、とりあえずコメントしてみた。
余計なおせっかいのような気もするけど、投稿主だけでなく、読んでる人の中でだれかにヒットすればいいなと。自分の苦い経験が役に立てば。
まあやっぱりおせっかいです。笑
そんな流れで「怒り」についても考える朝だったので、そのツイートもまとめてみました↓
………
ぼくの普段の投稿を読んでない人に限って、ポイ捨ての写真に「許せないですよね」って、怒ったようなコメントをする。
投稿を読んでどう感じるかは自由なので尊重はするけど、同意を求められるようなコメントはなんだかなぁと思う。
怒ってるときは怒ってるように、正直に書いてるつもりだから、そう書いてないときは、基本的に怒ってないです。
なので、その怒りはあなたのもの。
こっちに持って来られても、受け取りはしませんのであしからず。
(ここまで)
………
拾ってるときに声をかけてきて「ポイ捨てするやつ、許せないよな!」って、ずっと付いてくるオッサンが居た(あえてオッサンと呼ぶ)
こんなやつは許せないとか、この国はどうなってるんだとか、いろいろ怒ってはこっちに同意を求めてくる。
まだそのころは上手くいなせなかったので「あ、はい…はい…」なんて答えてたら、怒りながらずっと付き纏ってくる。めっちゃ邪魔。というか、そう思うならオッサンも拾えよ!と心底思った。笑
自身が怒ってるもんだから「あなたも怒ってるはずですよね?」「ごみ拾いしてるから当然怒ってますよね?」みたいなのが、もうめんどくさい。
以前はそうだったけど、いまは違うぞ。そういえば、最近はそういうオッサンに出会わなくなったかも。あんまり怒りがないからかな。逆に言えば、自分の中に秘めた怒りがあったからオッサンが寄ってきてたのか。オッサンよ、すまん。笑