坂口恭平さんの本「生きのびるための事務」を読んで、これは自分もなにかしたい、本を書きたいなら毎日文章を書くことから、ということで始めたこの日記。およそ2ヶ月が経ちまして、数えてみたら記事の本数も50を超えておりました。当初は書かなきゃと書いてたものも、今ではずいぶん自然に無理なく書けておりまして、習慣付けられたこと自体が、自信になってきてる。
これまで読んでいただいた方には伝わってるかも知れませんが、そんなことまで?と言われるくらい、日々ごちゃごちゃと考えているのですね。だから書くネタには困らないわけで、それならいざとなれば本は書けるなと、ある種執筆活動を舐めてたところがあった。
だけど今回書いてみて、頭の中で考えるのとこうして書くのでは、大きな違いがあるなと。実際書いてみると、語尾だったり、ひとつの文章の長さだったり、かなり考えるところがあって、あとは同じ物言いが重ならないようにするのも大変だったりする。「〇〇だけれども」「〇〇なわけですが」みたいな言い回しがすごく多くて、あとで添削してて自分でも笑えてくる。笑
そうやって、気づかなかった自分の口癖を知ることも糧になるし、考え方の癖も如実に現れてきたわけです。ぼくは基本否定的にものごとを捉えてるのだけど、その方が希望を感じられるからそうしてる、というのが見えてきた。だからそのまま否定的に、でも言葉はなるべく暗くならずニュートラルなものを選びたい。今はそう思って書くようになった。
ある点では厳しい、(自分にとっても)耳の痛いことを、明るいサウンドに乗せて歌う、みたいなイメージ。曲としてはスーッと入ってくる。でもこの歌詞、結構辛辣なんやなって感じ。笑
日々書き続けることで、筋トレと同じく力がついてくる。そうすると、書くこと自体はそれほど苦じゃなくなって、それじゃどういうことを書こうか、みたいな余裕が出てくるようで。書くことが目標だったのから、今ではその内容を求めるようになってきました。あくまで自分の満足のために、ですけどね。
書いてると自分の考えが見えてくるし、それを読んでまた自分の考えが広がっていく。でも記事にするためには、どこかではまとめる必要が出てくるわけで、編集力というか仕上げる力みたいなのもついてくる。どんな体勢からでも着地を決められるようになる。
お会いしたことはないけど、投稿が好きでよく読ませてもらってる方(Twitter)がいて、その方が「書く」について面白いことを仰ってたので、下に引用します↓
(+M laboratoryさんの投稿より)
おれは、3分考えて分からないことは、「今のおれでは無理」とあきらめてそれ以上考えないですね。
それ以上のことを考えたいときは、文書を書く。手に頼る。
頭では今の自分の限界の範囲でしか考えられないが、手に頼れば、自分を超えて自分にも分からない領域にまで思考の触手を伸ばしていくことができる。
(ここまで)
………
手に頼るって表現が面白いですよね。だけどこうして日常的に書くようになって、自分の思考を超えていく手ごたえをわずかながら感じているわけで、なるほどなと思う。
ギターを弾いててもそういう場面はあって、この音どこだろう?って頭で探すと分からないときでも、なんとなく指を置いてるところがその音だったりする。手が知っている。
速弾きにしても、そのフレーズの運指を教えるのは頭でも、それを反復練習を繰り返すことで、手が勝手にやってくれるようになる。いつしか頭では制御できないほど、速く指が動くようになる。手が頭を超えていく。
頭でっかちという言葉があるけど、あれは真理なのかも知れないですね。頭だけで考えていてはバランスが崩れますよ。だから手をつかって、からだをつかって下さいねって。そしたら、からだもでっかくなってバランスが取れる。気がついたら自分全体が大きくなってて、それを成長と呼ぶのかもしれない。
まあ難しいことはさておき、書くのが楽しくなってきたのでそれが一番ということで。そんな着地で今日はおしまい。笑
続ければ大抵のことは役に立つなと。
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写真は、坂口恭平さんの「生きのびるための事務」
将来の夢よりも将来の現実。夢を具体的にしてくれるのが事務。己を疑うのではなく、方法を疑うべし。そんな本です。超おすすめ。